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日本のファーストフードの草分け的な存在、マクドナルドが東京銀座に昭和46年(1971年)6月にオープン。その1ヶ月前の5月に和風ファーストフーズ「ピーコック1号店」を長岡駅前の長崎屋長岡店にオープンした。座席を設けない完全な立ち食いスタイル、セルフサービス、テイクアウト。マックが出店する以前は中学校のPTAのお母さんが店にやって来て子供達に「立ち食いはだめ」と説教をしていた時代である。今、ピーコックでお買い物をするお客様はコルトンやサンプルを見て商品を選定しレジでお勘定をし、商品ができあがるとカウンターに取りにこられる。テーブルで食べ(またはお持ち帰り)終わると食器を返却する。そして返却する時に「ごちそう様」と声をかけられ帰られる。お金を頂戴し、セルフで食事をし、そして挨拶までして頂く。なんて幸福な仕事をしているのだろうか。先日お父さんと5、6歳の娘さんがピーコックを利用していた時のこと、お父さんが食器をそのままにして帰ろうとすると、娘さんが「お父さん、片付けをしなければだめよ。これが決まりなの。」となんと娘さんがお父さんに声をかけている。ピーコックは躾までしているかと思うと身震いしてしまう。
当時、ダイエー新潟店は日本一の規模のショッピングセンターを建設していた。天下のダイエーからの出店依頼があった。自分の耳を疑ったものだ。長岡と新潟の砂利道を往復して準備。昭和49年(1974年)ピーコックは新潟のダイエーに出店した。「あなたのビジネスのノウハウがダイエーに必要なのだ。」と天下のダイエーがピーコック商法を認めてくれた ことが嬉しかった。全国各地の数あるショッピングセンターの中でも15年間売り上げナンバーワンを続けた最優良店に出店できたことは運か強いとしか言えない。新潟店の成功の後はまさにトントン拍子で多店舗が進んだ。今ではイオン、ジャスコ、アピタ、ダイエーなど全国に140コーナーとなった。日本の小売業を変革したダイエー 故 中内社長は恩人である。故 中内社長との出会いがなったら今頃ピーコックはどうなっていたかわからない。創業後まもない、社会的信用もない、ピーコックの将来を買っていただきダイエー多店舗の中にビジネスパートナーの一員として加えてくれたことに感謝している 。故 中内社長には大変お世話になり今でも神様だと思っている。
テナントとして入店していた小型スーパーマーケットが衰退しはじめ、消費者の視線は大型店のSCに移行していた。そしてファミリーレストラン、コンビニエンスストアが台頭し始めていた。平成2年、当時新潟にはコンビニエンスストアは数件を数えるだけだった。24時間営業、欲しいものがいつでも手に入る。若者のライフ スタイルの支持を得るための商品構成にはファーストフーズ商品が数多く含まれている。コンビニのカウンター横はFF商品だ。ファーストフーズ店舗にとっては非常に驚異であった。ならばピーコックのファーストフード商品を冷凍食品にす ればコンビニでも十分売れるはずではないか。驚異と思うよ りチャレンジしょうと考えた。しかし、冷凍食品は便利ではあったがあまり美味しくないというイメージがあった。ましてや冷凍たこ焼きの製品化に成功 した企業は一社もなかったのである。今でこそたこ焼き、お好み焼き、鯛焼きは冷凍食品で当たり前に販売されているが、当時は冷凍食品参入に否定的な意見が圧倒的であった。「冷凍食品はそんなに甘くない。たこ焼きは実演商品しか考えられない。ましてやピーコックはFF店舗を運営している。冷凍食品メーカーは大手の企業が多い無茶はやめろ。」と。FCオーナーも「店をつぶすのか」と。しかし「やりなさいよ。あなたが選んだ道でしょう。同種商品ならいけますよ。」とただ一人、賛成した妻が励ましてくれた。この言葉に私の腹は決まった。平成3年11月、新潟県長岡市小国町(当時は刈羽郡小国町)に、中山間活性化資金を活用し冷凍食品工場を建設した。その時以来、農林漁業金融公庫新潟支店、JAバンク新潟県信連様には大変お世話になっている。転作物 利用作物として、冷凍食品の原料となるネギ、キャベツを小国町農家と柏崎農協(当時は小国農協)、刈 羽農業改良普及センターの協力を得ながら契約栽培を開始、現在年間で、ネギ36トン、キャベツ25トンを使用している。
海外での生産を考えた。ベトナムでの冷凍食品をつくるメリットはなんといっても豊富な労働力にある。ベトナムの従業員はまじめで勉強熱心だ。そしてチームワークも良い。日本は将来、ベトナム人に質においても追い抜かれておかしくない。ベトナムでは冷凍手作り「まるたこ焼き」「お好み焼き 」をつくっている。商品や原材料の輸出入に際してFOB、CIF、C&F、インボイス、BLなどを全てピーコックの女子従業員が行っている。この仕事は商社がやるものと思っていたが「やれば出来る、やらずに出来るわけがない」精神で自己完結している。
真ん中を歩くと確かに安全であろう。安定もするはずだ。だが広すぎて自分がどこを歩いているか見えなくなってしまう 。だからぎりぎりのところで歩くのだ。逆風の方が自分の力で歩いているような気がする。だからあえて崖っぷちを選ぶ。 その方が自分に合っている。ピーコックを興して今日まで幾度となく強風に吹かれ、時には台風のような状況にも遭遇した。吹き飛ばされてきたこともある。だがその度に不思議と風向きが変わって逆に風が私に活力を与えた。「人生はチャレンジ、打たれても打たれても攻めまくれ」これからもハングリー精神を忘れずに和風ファーストフーズ業界日本一を挑戦し続けるつもりだ。